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2020/12号

姫路藩幕末シリーズ(5) 幕末から明治維新へ、姫路城無血開城

(景福寺前町)


景福寺・仁王門 〜 姫路藩主・酒井家墓所 〜 本堂


景福寺裏手の山墓地


姫路藩主・松平明矩の墓所 〜 景福寺からの姫路城

 元治元年(1864)12月に、姫路藩主酒井忠績(ただしげ)の命で断行された勤王派藩士への弾圧「甲子(かっし)の獄」。これにより藩論は佐幕一色となり、「徳川と存亡を共にする」の意を固めた忠績は、幕府の「最後の大老」となり、徳川への忠誠を尽くし続けることになった。

 しかし、この間も時代は大きく動き、幕府は大政を奉還。王政復古の大号令が発せられ、旧幕府軍は薩摩・長州を中心とする新政府軍と鳥羽・伏見で戦ったものの、あえなく大敗。これにより旧幕府軍の後陣を務めていた姫路藩兵も戦わずして姫路に戻ったが、この時点で姫路藩は賊軍となり、明治新政府から追討命令を受けることになるのである。

 そして日を置かず、備前岡山藩の軍勢が追討軍の先陣を切って姫路に押し寄せ、帰順して姫路城を明け渡すよう命じ、景福寺山の山上に大砲を据えて姫路城に向かって砲弾を撃ち込んだ。これを見て姫路藩は降伏。城を明け渡すことになった。

 このあたりの経緯は省略することにし、備前藩が陣を構えた姫路城西方の景福寺山に向かう。山麓に藩主酒井家の菩提寺・景福寺がある標高50mほどの小山である。

 左右に仁王像が立つ風格ある山門の先に本堂や座禅堂があり、山門手前の右手には、酒井家と徳川家の縁の深さを物語るように、藩主酒井忠学に嫁いだ将軍徳川家斉の娘喜代姫ら、3代にわたる藩主夫人の墓碑が並んでいる。

 本堂の裏手の山が景福寺山で、山の南面が墓地になって広がっている。もちろん、新しい墓碑もあるにはあるが、目を引くのが文化、文政、嘉永など、江戸時代後期の元号が刻まれた古い墓碑。その多くが旧姫路藩士の墓で、有志らから成る景福寺山史跡保存会の手で墓碑の調査や整備が行われているが、明治維新後、藩士らの多くが東京に移り住み、無縁仏になったためか、雑草や落ち葉に埋もれかけている墓碑も少なくない。逆にそれが江戸期の墓地としてリアリティを持って迫ってくるので、映像的にはかえって魅力を深めている。

 とりわけそれを象徴するのが墓地のほぼ中央にある、寛保元年から寛延元年まで(1741〜1748)姫路藩主を務めた松平明矩の墓所で、土塀や門、灯籠などは倒壊。それらの残骸がそこかしこに打ち捨てられており、書写山円教寺や増位山随願寺に残る歴代藩主の墓所に比べても荒みようが甚だしい。

 その明矩の墓所から東に行った、樹木の影が途切れた一角に姫路城を間近に望む場所がある。どうやらここが備前岡山藩兵が姫路城に向け大砲を放ったと思われる場所だが、乾小天守と西小天守を従えた大天守が実に美しく、姫路城の遠景としてぜひ取り込みたいアングルである。

姫路城関連イベント開催のお知らせ


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【開催場所】 姫路城三の丸広場
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