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2013/11号
黒田官兵衛ゆかりの地(10) ・ 姫路市網干区興浜
(姫路市網干区興浜)
〜領地となった網干に官兵衛が設け、秀吉が名付けた「鶴松亭」〜すでに紹介したように、天正8年(1580)、三木城を攻略した羽柴秀吉に官兵衛は自らの居城・姫路城を譲り渡して国府山城に移り、それまでの功に対して秀吉から揖東郡内に1万石が与えられ、大名に列したが、そのお礼の意味を込めて官兵衛は自らの所領となった福井の庄(網干)に秀吉を招き、盛大な茶会を催したと伝えられている。
茶会の場となったのは、沖の浜州と呼ばれていた揖保川の河口近く、現在の網干区興浜に設けた陣屋で、当時、揖保川の川岸から沖の白州にかけては千本松原といわれるほど松が生い茂り、茶会の席から多くの鶴が飛び交うのが見られたという。
秀吉と官兵衛はまず同じ興浜にある名刹・鶴立山大覚寺に参詣し、茶会に赴いたが、秀吉の席のすぐ近くの大松の天辺に1羽の見事な鶴が巣をかけており、これを見た秀吉は大いに満足。官兵衛に「鶴にちなんで、この陣屋の名を鶴松亭にいたせ」と命じたという。
以来陣屋は「鶴松亭」と呼ばれるようになったというが、江戸時代に入って、その場所に設けられたのが丸亀藩の陣屋。龍野藩主京極家がこの地を治めていたのだが、明暦3年(1657)に四国の丸亀に移封となったが、興浜だけは丸亀藩の飛び地として残り、陣屋が置かれたのである。それが今に残る「丸亀藩陣屋跡」で、陣屋門だけがわずかに往時の姿をとどめている。
このように興浜もまた官兵衛ゆかりの地の1つだが、残念ながら鶴松亭の跡を示す大きな石碑以外、それを物語るものはない。しかしながら興浜と、隣接する新在家、余子浜の3地区は、姫路市と合併する以前の旧網干町の中心地として栄えたところで、今も豊かな歴史と、しっとりとした佇まいに包まれている。
戦災に遭わなかったこともあり、元は銀行だったというレトロな洋館、テント地のアーケードがかかった商店街、漆喰壁に格子戸の古い町家、2階の窓に腰掛け縁が出張る庶民的な家、立派な蔵を脇に据えたいかにも旧家風の建物、3階部分に望楼を備えた黒漆喰の豪邸、料理屋さんのような佇まいを見せる古い魚屋、さらにはあちこちに点在する寺社仏閣など、小津安二郎の映像世界で出くわしたような場所や雰囲気が随所に姿を見せるのである。
まさに「昭和の残り香」がたっぷりの網干のまち。官兵衛を抜きにしても、ぜひ1度は訪れてほしい魅力のスポットである。
姫路へ行こう!今月の話題はこれ
姫路城世界遺産登録20周年記念事業の開催!
本年12月11日に姫路城世界遺産登録20周年を迎えます。20周年を記念した事業を開催されます。
また、同時に登録された法隆寺やその所在の斑鳩町と連携した取り組みも実施されます。
(※期間中に既に終了した情報は除く。)
1.姫路城物語
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2.NHKキャラクターとあそぼうショーin姫路城
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3.姫路藩文化観光学習船「はりま」運行
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4.姫路城・法隆寺 世界遺産登録20周年記念写真展
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5.斑鳩フォーラム「法隆寺の歴史と太子信仰」
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