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2012/01号

高度成長期の「鉄の都」の賑わいを偲ぶ駅舎と駅前風景

(姫路市広畑区)




 姫路市広畑区。戸数500戸の半農半漁の一寒村だった飾磨郡広村に、昭和12年(1937)に日鐵広畑製鐵所(現新日本製鐵広畑製鉄所)の建設が始まり、同14年に操業を開始。以来ごく近年まで「鉄の都」として栄えてきた町である。製鉄所の北側に山陽電鉄網干線が走るが、これも広畑工場の操業に合わせて従業員の通勤の足として敷設されたもので、その中心を成した駅が広畑駅と、今回紹介する夢前川駅(広畑区東新町)である。

 今は駅の南側には昭和15年に開院した日鐵広畑製鐵所病院、現在の製鉄記念広畑病院の真新しい建物や大型ショッピングモールが悠然と佇んでいるが、高度成長期には製鉄所従業員の社宅がずらりと建ち並んでいたところである。

 駅も今は無人駅で、北側に自動改札機が置いてあるが、工場の東門に向かう出入口が南側にもあり、高度成長期の「鉄、華やかし」頃は、まだマイカーもそれほど普及しておらず、多くの従業員がこの駅を利用した。南口には改札所や駅員の詰め所だったのだろうか木造の小さな建物も残っており、駅舎の屋根を支える三角形の武骨な木組みなどにも懐かしさが感じられる。

 町の古老によれば、出社、退社時には人の波が絶えなかったというが、その名残を伝えるのが駅前の風景。今はマンションなども建ち、道沿いの商店も多くがシャッターを閉めているが、その佇まいからは濃密な「昭和の匂い」が感じられる。

 特に工場勤務は3交代が一般的で、景気の良かった高度成長期には昼間でも仕事帰りに一杯引っかける従業員も少なくなく、いわゆる「飲み屋」が多かったのも特徴で、そうした飲み屋街の雰囲気を残す一画もある。ネオンサインや看板など多少手を加えれば、あの時代の庶民的な飲み屋街が再現できるかもしれない。

 もう1つ、駅から少し北へ上がっていくと、広畑区末広町で、幅1mほどの道が網の目のように走り、昭和の匂いがする古い民家が数多く建ち並んでいる。姫路市内にはほかにも戦災を免れた古い家並みが残っているところもあるが、概して数軒に1軒はモダンな家に建て替えられており、点ではなく「線」や「面」で捉えることは難しい。その意味では稀少な一画かもしれない。

 広畑区周辺では製鐵所建設に伴って戦前から大規模な土地区画整理事業が始まり、戦後も引き続き広範なエリアで行われたため、総じて端整な区画割がなされているのだが、この一帯だけはまさに「昔ながら」。板塀を巡らせた民家や、モルタル葺きのレトロな雰囲気の木造アパートや商店などもあり、駅前周辺と合わせて「古き良き昭和」を捉えることができるだろう。

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