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2011/12号

歴史ミステリーの世界へ誘う古墳や白鳳時代の廃寺跡

(姫路市勝原区)




 姫路市の南西部に位置する勝原区。霊亀元年(715)頃に成立したとされる『播磨国風土記』にも大家里、大田里として登場する古くから開けた土地で、渡来系の技術者がこの地に住み、農地を広げていったと考えられている。

 従って古代の遺跡・遺構も数多く残っており、もちろん周辺には近代的な町並みが広がっているので、古代を舞台にしたドラマのロケ地にというわけにはいかないが、当節はやりの「歴史ミステリー」の舞台としては面白いだろう。

 まず丁瓢塚(よろひさごづか)古墳。ガソリンスタンドがぎりぎりまで迫っており、上空からでないと全容を見出すことはできないが、全長104mの市内2番目の大きさを誇る前方後円墳である。前方が撥(ばち)形に開いており、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とも考えられている奈良県桜井市の箸墓古墳と相似形をなしていることから、この古墳が卑弥呼と播磨をつないでいた証拠とも考えられている。まさに古代のミステリーである。

 その北東に勝山町の住宅街が広がっているが、その一画に丁古墳公園がある。約100基あった丁古墳群のうち、山裾にあった5基をそのまま保存し、公園としているもので、周囲の住宅をバックに横穴式の円墳が居並ぶ様子は何か時空を越えたミステリーゾーンの趣がある。

 さらにその北には一面の田んぼの中に下太田廃寺跡がある。白鳳時代の寺院跡と見られ、五重塔が建っていたと推測される塔の土壇と礎石が残っているが、周囲と隔絶した不思議な一画をなしており、朽ち果てた旧薬師堂などもあって、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。大袈裟に言えば、その一画だけは今も古代の空気がわだかまっているような気がするのである。

 そこから道を挟んだ西側一帯が下太田の集落だが、その北に吉備神社がある。近年社殿が改築され、その手前にあった古墳の石棺を用いた石棺橋もなくなっている(神社内に保存されている)ので、かつての古寂びた風情はなくなってしまったが、ここも以前は歴史ミステリーを感じさせた場所である。

 最後に、これは「歴史ミステリーの舞台」という今回のコンセプトからは離れてしまうが、下太田の集落の中にある真宗大谷派の善徳寺も紹介しておきたい。本堂の瓦葺きの大屋根や山門脇の築地塀など、随所に寺の風格が滲み出ており、NHK大河ドラマ『新選組!』のロケ地になった亀山本徳寺にある鼓楼に似た、城郭を思わせる建造物もある。何かのドラマに使えそうな予感がする寺院である。

姫路へ行こう!今月の話題はこれ

「姫路城の幻の窓」




 姫路城大天守は、現在、改修工事中ですが、大天守最上層の壁を解体し、内部の板壁をはずしたところ窓をたてる敷居と鴨居が発見されました。

 現在、大天守最上層には南・北面に各々5箇所、東・西面に各々3箇所の窓が開けられていますが、築城時の計画では全面(南・北に7箇所、東・西に5箇所)に窓をとり360度城下を眺望できる計画があったようです。(昭和の修理時には確認されていたようですが、公表されることはありませんでした)

 最上層壁の解体は、今年6月中頃から取りかかり、8月初めには外壁の漆喰と土壁をすべて取り去り、8月中頃には部屋内の板壁を解体し、所定の作業を完了しました。

 その後、窓の敷鴨居であることを確認し、調査を進めていました。

 結果、この敷鴨居は後で組み込むことのできない取り付け方であることから当初、築城時のものであると判断しました。

 また、他の窓の敷鴨居と比べても部材の大きさや溝幅、溝の深さが同じであり、同様の仕事が施されていることから外面に漆喰を塗りこんだ土戸ではなかったかと推測しました。

 しかし、窓として使用した形跡はないことから築城途中で計画変更し、壁になったものと考えています。(※通常窓として使われたことがあるならば敷鴨居に摺った痕跡などが残ります)

 計画どおりだったら、城下の大パノラマの景色を見ることができたかもしれません。

 写真提供:(公財)文化財建造物保存技術協会

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