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2011/07号
聖徳太子ゆかりの古刹と、「現代」を映し出すモダンな施設群
(揖保郡太子町)
姫路市の西隣に位置する揖保郡太子町。名前からも分かるように聖徳太子ゆかりの町で、その中核をなすのが今回紹介する「斑鳩(いかるが)寺」である。飛鳥時代に推古天皇から播磨国揖保郡の水田100町を寄進された聖徳太子が、その地を「斑鳩荘」と名付け、1つの伽藍を建立したのが斑鳩寺の始まりと伝えられ、太子は斑鳩荘を法隆寺に施入。以後、法隆寺の荘園として千年近くにわたって栄えてきた。
16世紀半ばに火災により堂塔伽藍すべてが焼失。その後漸次再建され、現在の伽藍となっているが、仁王門・講堂・聖徳殿・三重塔などの伽藍配置は法隆寺と似ているといわれている。
前置きが長くなったが、白い築地塀を巡らせ、仁王門を入ると正面に講堂。その左手に聖徳太子の像を安置する聖徳殿があり、右手の豊かな緑の中に三重塔(国指定重要文化財)や鐘楼が静かに佇み、西播磨を代表する古刹にふさわしい雰囲気を漂わせている。
特に永禄5年(1562)に再建された三重塔は朱に塗られ、均整のとれた壮麗な美しさを見せているが、画面にどうしても周辺の民家の屋根が入り込み、ロケ地としてどこまで時代を遡れるかとなると厳しいものがある。
その点、明治から大正にかけて従来の太子堂に法隆寺の夢殿を模した奧殿(八角円堂)・中殿を増築した聖徳殿は、周囲が庭園のように開けているので、「引き」があり、そこそこ時代を遡ることができそうだ。また、どっしりと重たげな本瓦葺きの屋根が印象的な庫裡とその前庭、玄関にも風情があり、何かのドラマのワンシーンに取り込みたい誘惑に駆られる。
もう1つ、斑鳩寺のある鵤(いかるが。こちらは地名)は江戸時代には西国街道の宿場として栄えた町。今でも旧街道沿いにはポツリポツリとだが「昭和」を色濃く滲ませた民家や医院などが残り、江戸末期の古民家を移築した民俗資料館もあるが、いずれも「点」でしか捉えようがなく、ロケに必要な「線」や「面」の広がりには欠ける。
むしろ面白いのは、時代は現代に飛んでしまうが、あすかホール(文化会館)や図書館、歴史資料館などが集中する一画。茶を基調にしたシックかつモダンな建物が並び、芝生が広がる美しい前庭、明るく洗練されたホールの佇まいも魅力。いろんな場面設定が可能なエリアで、「現代」を映し出すロケ地としては重宝かも知れない。
姫路へ行こう!今月の話題はこれ
「姫路モノレール」
姫路市では、昭和41年に手柄山で開催された姫路大博覧会の会場と姫路駅を結ぶ交通機関としてモノレールを導入しました。姫路駅から手柄山駅までの約1.8kmの区間で運行されていましたが、利用客の伸び悩み等による経営不振のため昭和49年に休止となり、昭和54年に廃止されました。その後、モノレール車両やプラットホーム等は、旧姫路モノレール手柄山駅舎内に当時の姿を止めたまま、約35年以上の長きにわたり保存されていました。
駅舎の耐震改修に合わせ、保管されていたモノレール車両を姫路市の昭和復興期から高度成長期を象徴する近代遺産として、公開されました。
モノレール車両の展示を中心に広告看板や運行時刻表等を修復し、開業当時のプラットホームを再現するとともに、姫路大博覧会のジオラマ模型等を展示しています。昭和40年代にタイムスリップしてみてはどうでしょう?
モノレールが展示されている、手柄山交流ステーションの開館時間等は下記のとおりです。
○開館時間:午前9時〜午後5時
○休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)・12/29〜1/1
○詳しくは、ホームページをご覧ください。http://www.city.himeji.lg.jp/koryustation