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2011/03号
大河ドラマ「江(ごう)」のゆかりの地 その4
京極家ゆかりの龍門寺と昭和レトロが匂う網干の町(姫路市)
江の姉、初が京極高次に嫁ぎ、京極家は高次、忠高、高和と代を重ね、高和は寛永14年(1637)に播磨龍野に移封。万治元年(1658)に讃岐丸亀に国替えになるまで龍野藩主を務めたことは前回述べたが、丸亀に移るにあたって飛び地として残されたのが旧揖保郡南部。現在の姫路市網干区の興浜や浜田などで、丸亀藩は興浜に陣屋を置いてこの地を治めた。現在も興浜には陣屋跡が残り、丸亀藩が治めた興浜と龍野藩が治めた新在家の藩境に架かっていた橋(境橋)も元の場所近くに保存されている。
中でも京極家ゆかり寺院として名高いのが浜田にある龍門寺。龍門寺は難解な禅をやさしく説いた(不生禅)ことで知られる浜田生まれの盤珪国師が、藩主京極高豊(高和の次男)と網干の豪商の援助を受けて寛文元年(1661)に再興した播磨屈指の禅宗寺院である。
境内を取り囲んで延々と続く白い土塀、延宝8年(1680)に建てられた風格ある大門(表門)、元禄5年(1692)に建立された趣のある鐘楼、寛文9年(1699)以前の創建と考えられている堂々たる構えの禅堂などはいずれも時代を超えて絵になり、開山堂周辺の庭園は時代劇ドラマにも似つかわしい雰囲気をたたえている。
一方の興浜には、復元された丸亀藩陣屋跡や重々しい土蔵を備えた漆喰壁の旧家、料理屋のような小粋な店構えの魚屋、大正時代に建てられ3階部分に望楼を構えた山本家住宅などが軒を連ね、旧き良き時代の面影を今に伝えている。
この興浜だけでなく、隣接する新在家、余子浜地区も旧網干町(昭和21年に姫路市と合併)の中心地で、戦災に遭わなかったために古い家並みが今も残り、昭和レトロの匂いを色濃く漂わせている。
屋根は本瓦で外壁はモルタル壁といった昔はよく見られた店構えの商店が続く本町通り(あぼし一番街)、本堂の大屋根が目を引く浄土宗の古刹大覚寺、外観も内部もほぼ当時のままという昭和15年竣工の網干商工会館、長屋門を備えた豪壮な構えの加藤家住宅、テント地のアーケードが架かる橋本町商店街、明治末期に外国人技師のために建てられた洋風建築のダイセル異人館、旧網干銀行本店だった煉瓦建て銅販葺きの洋品店などがその代表で、少し裏道に入ると2階まで羽目板を巡らせた古い民家、格子窓が続く塗屋造りの家、二階の窓に腰掛け縁が出張る家など、まるで小津安二郎の映画に出てきそうな家並みが随所に見られる。
タイトルに上げた江とのゆかりはもはや薄く、お叱りを受けるかもしれないが、網干も前回の龍野と同様、映像に取り込みたい場所が随所にある播磨有数のロケ好適地。江との関係を抜きにしても、ぜひ一度訪れていただきたい町である。
姫路へ行こう!今月の話題はこれ
「姫路城大天守修理見学施設“天空の白鷺”が3月26日(土)にオープンします」
=世界遺産修理の常時公開は日本初!=
昭和の大修理から約半世紀が過ぎ、近年、大天守の軒や懸魚の漆喰が剥離し、また瓦が破損するなど傷みが目立ってきました。このため、8万枚を超える瓦の全面葺き直し、屋根の目地漆喰の全面修復、壁面漆喰の修復、耐震性を向上させる構造補強などを行う保存修理を平成21年に着手しました。(平成26年度末に完了予定。)
全天候で作業が行えるよう設置された、高さ約52mの大天守をすっぽり覆う素屋根内に、大天守の修理を見学できる施設を設けました。
姫路城大天守修理見学施設「天空の白鷺」では、エレベータにより見学スペースまで移動し、大天守の最上階(5層部分)の大屋根、唐破風、千鳥破風、漆喰壁などを外側から間近にご覧いただけます。
城郭建築の醍醐味を体感していただくとともに、時期によっては「漆喰の修復」や「瓦の葺き直し」「瓦留め(釘や銅線による補強)」などの『匠の技』を見学していただくことができます。
見学施設の「天空の白鷺」は、平成23年3月36日から約3年間の設置となります。
この機会だけ見ることができる姫路城をぜひご覧ください。
詳しくはホームページをご覧下さい。
http://www.himejijo-syuri.jp/