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2011/02号

大河ドラマ「江(ごう)」のゆかりの地 その3 

江の姉、初が嫁いだ京極家と龍野古城(たつの市)




 江が浅井長政とお市の方に間に生まれた三女で、長女が茶々、次女が初であることは前にも述べたが、その初が嫁いだのが近江の名門の出である京極高次。その京極家のゆかりの地の1つが姫路市に隣接する龍野の町である。

 京極高次は関ヶ原の合戦での功により若狭一国の国主となり、初もまた大坂の陣の際に徳川方と豊臣方の間に立って講和の斡旋に奔走するのだが、そのあたりはドラマに任せるとして、高次亡き後、若狭一国は長男の忠高(正室・初の子ではなく側室の子。高次と初の間には子が授からなかった)が継承。後に松江26万石の太守となるが、忠高に嗣子がなかったため甥にあたる高和が寛永14年(1637)に6万石に減封されて播磨龍野に移り、万治元年(1658)に讃岐丸亀に国替えになるまで藩主を務めた。

 龍野は京極家の後に脇坂家が明治まで藩主を務めた城下町で、その風情の豊かさから「播磨の小京都」とも呼ばれている。町の北側の鶏籠山(けいろうざん)の麓に江戸初期に築城され、昭和50年代に多門櫓や埋門などが復元された龍野城もあるが、これとは別に室町後期に播磨の豪族・赤松氏によって築かれた城が鶏籠山の山上にある。地元ではこれを「龍野古城」と呼んでいる。

 古城へは現在の龍野城の背後から大手道が続き、張り巡らされた土塁が残り、生い茂る木々の間に二の丸跡や本丸跡とされる削平地が続く。特に本丸跡には野面積みの石垣の一部が残り、石畳が続く八幡宮跡、本丸に向かう石段などもあって、中世の山城の面影を今に伝えている。人工的な構造物も見当たらず、戦国時代のドラマのワンシーンに取り込みたい場所でもある。

 本丸跡からは上ってきた大手道を通らず、西に向かって下っていくと、大きな石灯籠が立つ一画に出る。ここから麓に向かっては、両側に鬱蒼とした木立が続く“昼なお暗し”の形容がぴったりの道が続き、番所跡や石の蹲(つくば)いが残る侍屋敷跡などがある。いずれも脇坂時代のものだが、時代劇ドラマに充分耐えうる趣を醸し出している。

 道を下りきると、脇坂氏の上屋敷や茶室「聚遠亭」、藩祖脇坂安治を祀る龍野神社などがあり、さらに下ると映画「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」の舞台となった今なお「昭和」が色濃く残る龍野の古い街並みに出る。

 タイトルに上げた江(ごう)と直接的なゆかりがあるわけではないが、龍野古城を含めた龍野の町は映像に取り込みたい場所が随所にある播磨有数のロケ好適地で、江との関係はさしおいても、ぜひロケハンをお勧めしたい町である。

姫路へ行こう!今月の話題はこれ

「ひめじ千姫ものがたり」




 徳川家康の子・秀忠と織田信長のめい・江との間に生まれた千姫。わずか7歳の政略結婚で豊臣家に嫁ぎますが、大坂夏の陣で夫・豊臣秀頼と死別。傷心の千姫が出会ったのが、のちの姫路城主・本多忠政の子・忠刻です。

 当時としては異例の恋愛結婚を実現し、最も幸せな時期を姫路城で過ごしたといわれます。千姫ゆかりの姫路城西の丸でその面影をしのび、千姫の生涯を辿ってみませんか。

■料金 大人400円・小人100円(入城料に含む)
■場所姫路城西の丸長局(百間廊下)内
■内容百間廊下内に設置したパネル等により千姫の生涯を辿ります
千姫姿絵(複製)などを展示。
千姫が祈りを捧げた男山天満宮望む「パワースポット」誕生!
西の丸長局の廊下から朝夕遥拝して、男子出生と一家の繁栄を祈っていたといいます。そんな千姫の想いが刻まれたパワースポットがあります。
姫路市内および全国の千姫ゆかりの地を紹介
千姫ゆかりの地を紹介するパネルが設置されています
せんひめが男山八幡宮に奉納した羽子板や播州姫路城図の複製とあわせてご覧ください。

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