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2010/01号

黒田家興隆の陰の力となった広峯神社の御師屋敷跡

(姫路市広峰山)




 しばらく続けてきた戦国時代の稀代の軍師、黒田家と官兵衛ゆかりのロケハン案内もひとまず区切りをつけ、最後に選んだのが姫路市街の北に位置する広峰山に鎮座する広峯神社。備前から播磨に流れ着いた官兵衛の祖父・重隆が、「御師」と呼ばれる神社の神符を全国に売り歩いていた布教者たちに黒田家秘伝の目薬を一緒に売ってもらうことで財を成し、後の黒田家の礎を築いたという深いゆかりがある。

 広峯神社は奈良時代に吉備真備が唐から帰国の際、神託によって社殿を造営し、明石浦より牛頭天王を勧請して広峯社と称した古社で、京都祇園の八坂神社の本社とも言われ、古い歴史と由緒を誇っている。それだけに神社には室町時代に再建された本殿、拝殿(ともに国指定文化財)など、数多くの文化財を擁し、端整な随神門(表門)やそれを取り巻く薄紅色の築地塀なども絵になるが、ほかにも映像に取り込みたい魅力的なスポットが幾つかある。

 1つは風雪にさらされた土塀が続く御師屋敷(社家)跡。かつては神社周辺に多くの御師屋敷が並び、「広峰三十四坊」と呼ばれたが、人が住み続けているのは今ではわずか1軒となり、屋敷跡の土塀だけが往時の面影を伝えている。中でも駐車場からお旅所を経て神社に向かう旧参道に沿った土塀が有名で、歴史ドラマのワンシーンに取り入れたいところだが、神社の本殿裏から吉備神社に向かう途中にある廃屋の風情も捨てがたい。盗人など魑魅魍魎が巣くう隠れ家的な雰囲気を醸し出しているのである。

 2つ目は山内の屋敷跡の随所に見られる苔むした石積み(石垣)。鎌倉時代に神主であった広峯氏は鎌倉幕府の御家人で、鎌倉末期から南北朝時代にかけて活躍したのだが、城塞を思わせる屋敷跡の石組みもそのあたりに起因するのかも知れない。これらは山城あるいは砦に想定することができるだろう。

 3つ目は歴史ドラマとは外れるが、その眺望の素晴らしさ。特に山腹にある宿泊施設の西方にある広峰展望広場からは姫路市街から遙か瀬戸内海までが一望でき、夜景もまた見応えがある。

 最後が山裾から山上へのドライブウェイ。姫路で唯一といってよいドライブウェイで、山陽自動車道との交差地点や桜並木が続く一画などは絵になるだろう。

 歴史物はもちろん、現代ドラマにも通用するスポットが少なくない広峯神社と広峰山。足の便も良く、黒田官兵衛を離れても充分面白いロケ地だといえるだろう。

姫路へ行こう!今月の話題はこれ

「稀代の軍師 黒田官兵衛」



 「播磨が生んだ智将・黒田官兵衛」豊臣秀吉に天下を取らせた戦国の名軍師の魅力を全国へ発信しようと、姫路市ではさまざまな取り組みを行っています。

 平成20年8月には、黒田家ゆかりの都市が集まり「黒田サミット」が開催され、同年11月には、官兵衛を主人公にした大河ドラマを実現させようと「NHK大河ドラマ『黒田官兵衛』を誘致する会」を設立。平成21年1月、NHK会長にドラマ化を求める要望書を提出しました。また同年8月には、自らも官兵衛を尊敬するというNHKキャスター松平定知さんの講演会も開催しました。

 官兵衛の魅力は、
●「天下人に仕えた『No.2』の一方で、自らも『No.1』を狙った男」
●「歴代姫路城主48人の中でただ一人、姫路城で生まれた姫路城主」
●「妻一人を愛し続けた理想の家庭人」
●「部下の統率力に優れた理想の上司」
●「鋭い洞察、知略で混乱期を切り開く男」
などです。

 その黒田官兵衛にちなんだ兜がお目見えしました。これは、北九州で戦国武将の兜を制作されている方から「PR活動に役立てて欲しい」と寄贈を受けたもので、官兵衛の愛用した兜などを模した見事な出来栄えです。

 姫路駅中央コンコース西側にある姫路市観光案内所に展示されていますので、姫路へ訪れた際は、ぜひお立ち寄り下さい。

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