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2009/10号
時代劇ドラマにも対応できる市街地の中の自然。官兵衛ゆかりの船越山
(姫路市下手野)
前回に引き続き、今回も羽柴秀吉の天下取りを支えた姫路出身の稀代の軍師、黒田官兵衛(如水)のゆかりの地を紹介しよう。官兵衛が弱冠23歳のとき、初めて全軍の指揮をとり、華々しい軍功をあげた「青山の戦い」において陣を構えた瓦山(船越山)である。永禄12年(1569)龍野城主赤松政秀は、官兵衛の父黒田職隆が守る姫路城を攻め立てんと3千の兵を率い、姫路市西部を流れる菅生川(現在の夢前川)の西岸に位置する青山に布陣。対する官兵衛はわずか200騎余りを率いて川の東岸にある瓦山に布陣し、策略を巡らせて夜襲をかけ、赤松勢を敗走させた。これが官兵衛の武勇を広く近国に知らしめた最初の戦いであったといわれている。
その瓦山は船越山と名を変え、JR姫新線と国道2号線の北に位置して今も残っている。南側には姫路赤十字病院やグローリー工業の社屋が建ち並び、北側には住宅街がぎっしりと広がる賑わいの地だが、まるでそこから隔絶されたような静けさと豊かな緑を誇り、単に官兵衛ゆかりの地というだけでなく、時代劇ドラマのロケ地としても充分通用する魅力をたたえている。
一部は秩父山公園として整備され、グランドやゲートボール場になっているが、南側にこんもりとした緑の小山が続いており、木々の間を縫って散策路が設けられている。目立つ人工構造物もなく、切り取りようによっては時代劇ドラマの街道に見なすことができる。
もちろん郊外に車を走らせば、こうした道とは幾らでも出会うことができるが、市街地の真ん中、しかも車を停めてわずか数分で撮影が可能になるというのは映像関係者にとって大きな魅力ではないだろうか。
同じ意味で、船越山の北側に連なる崖にも魅力がある。直角にそそり立つという感じの絶壁をなし、たとえばその崖上に立って、北東にあたる姫路城を見つめながら必勝を誓う官兵衛の姿を仰ぎ見るというアングルも想定できる。
いずれにしろ、姫路城からも幹線道路からも近いというのがミソで、限られた日数・予算の中で、姫路城での撮影後、併せて古い街道の絵が欲しいといったようなときには、まさにぴったりのロケ地だといえそうだ。「便利な市街地の中によくもまあこんなところが……」とのご感想をいただけるのではないだろうか。