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【ディープな姫路城】11月号「姫路城のBGM」

姫路市城郭研究室・工藤茂博さんによる、姫路城にまつわる知れば知るほど面白いお話を月1回で連載。
第7回目となる11月号では、「姫路城のBGM」について驚きのお話をお届けします。

INDEX

1.

姫路城のBGM

姫路城大手門から内側には、各所にARポイントが設置されているのをご存知でしょうか。姫路城を象徴する施設があった場所にポイントを設けていて、スマートフォンなど通信用端末機器を使って、デジタルデータを閲覧するツールが使える場所です。データは文字だけではなく、CGや動画、写真なども含まれ、関連する資料を逐次増やしていくことができること、消滅した城の施設や昔の風景が復元的にその現場に重ねて表現でき、粗描ながらその場の履歴や旧観 (AR=仮想現実)を端末機器上で体感できるものです。

 

使い方はそれほど難しいものではなく、あらかじめ「姫路城大発見アプリ」をスマートフォンなどにダウンロードしておけばOK。城内ではHimeji Free Wifiを利用することができるので、姫路城に到着した時にダウンロードするのも可能です。

 

 

《図1》大手門のARポイント

 

《図2》三の丸御殿のARポイント

 

 

今回紹介したいのは、そのARポイントのうち多くの来場者が通らねばならない位置にあります。それぞれ当時の大手門を構成した桐の二門、現在は芝生広場になっている向屋敷と大手門から菱の門へと通じる通路 (通称「三の丸大路」)のあった場所です。どちらも今は消失していますが、ARではその場に復元CGが現われ、端末の向きや位置に合わせて、多少誤差はあるものの画像も連動します (図3)。

 

 

《図3》三の丸御殿のうち本城と西の丸のCG

 

《図4》鉅鹿民部 (魏皓) 肖像

 

 

この操作時にBGMが流れます。それは、観光地にありがちな琴と笛の近代の邦楽ではありません。酒井家が姫路藩主だったころ、三の丸御殿や江戸屋敷などで演奏されていた明楽 (みんがく)です。明とは当時の中国の王朝ですから、中国の音楽ということです。

 

姫路藩酒井家の藩主忠恭 (ただずみ)の頃、鉅鹿 (おおが)民部という家臣がいました。彼はもともと長崎で通訳を家職とする中国人で魏皓 (ぎこう)といい (図4)、明楽に通じるということで酒井家に“スカウト”され、鉅鹿姓を与えられた経緯がありました。彼はほかの家臣だけでなく藩主にも明楽を教授し、家臣たちで明楽の演奏ができるようになりました。酒井家の江戸屋敷に招かれて舞殿で明楽を聴いた大田南畝は、そのときのことを漢詩に詠んでいて、文化人たちにとって酒井家の奏でる明楽が大きな関心事になるほどだったのです。

 

忠恭が没すると、鉅鹿はかなりの落胆ぶりだったようですが、その後の藩主の時代にも酒井家では明楽が続けられていきます。こうした音楽に通暁するのは、官名「雅楽頭 (うたのかみ)」を称する酒井家にとって面目を施すことだったにちがいありません。

 

ARでは、東京芸大の関係者が演奏した明楽を流しています。城と音楽、直接つながりそうにありませんが、江戸時代後期、三の丸で奏でられていた音楽をぜひ聴いてみてください。

 

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