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【ディープな姫路城】10月号「大手・搦手バイパス通路」

姫路市城郭研究室・工藤茂博さんによる、姫路城にまつわる知れば知るほど面白いお話を月1回で連載。
第6回目となる10月号では、「大手・搦手バイパス通路」について驚きのお話をお届けします。

INDEX

1.

大手・搦手バイパス通路

9月の特別公開では、とノ一門からとノ四門に至る搦手道を見学していただきました。概ね好評だったようですが、残念だったのは安全管理上の問題で見学はとノ一門から四門への一方通行で、再入場もできなかったこと。アンチ・バリアフリーを体現する城郭では、効率よく楽に巡るのはそもそも簡単ではないのです。とはいうものの、観光施設として一般公開をする以上、観覧者への便宜を図ることは不可欠です。効率的な見学通路の設定もその一つでしょう。

 

さて、姫路城の一般公開は大正元年 (1912)に始まりました。明治の修理を契機に姫路市の働きかけが奏功し、軍用地以外の区域 (姫山や北勢隠など)と建造物が市へ無償で貸下げられることになり、市は城の一般公開に踏み切ったのでした。ただ、公開当初、三の丸跡には歩兵第十連隊が駐屯していたため、大手門から菱の門へは一般の立ち入りができず、観覧者は搦手から入城せざるをえませんでした。ですから、公開当初は観覧者にとってとノ四門がメインゲートであり、まさに“大手”なのでした。

 

ところが第一次世界大戦後、軍縮で歩兵第十連隊が岡山に移駐しました。そのため空閑地となった三の丸跡も陸軍から大蔵省を経て文部省へ移管となり、そして市が管理することになりました。こうなると、姫路駅方面から観覧者の来城を想定すれば、本来の大手門から彼らを誘導するほうが利便性は高くなるので、メインゲートをとノ四門から菱の門に変更することになりました。それが現在でも入城口となっているのです。

 

前置きが長くなりましたが、そこで今回紹介するのは新旧2つのメインゲートを結ぶ“バイパス通路”です。とノ四門周辺では、一般公開に合わせて姫山公園を整備しました。

 

 

《写真1》とノ四門前の姫山公園

 

《写真2》北勢隠曲輪の姫山公園

 

 

動物園やトイレ、休憩施設の設置や桜の植樹などを行い (写真1)、喜斎門から城の北側に位置する北勢隠曲輪にもおよぶ広さの公園となりました (写真2)。ところが、メインゲートが菱の門に移ってしまうと、当然、姫山公園への来客減少が予想されます。その対策も兼ねて、昭和9年 (1934)、とノ四門方面(姫山公園)と三の丸跡の往来を容易にするため“バイパス通路”が敷設されたのです。

 

 

《図1》

 

 

その通路敷として、本来は内堀が姫山の東側斜面に切込んだ堀留に、その斜面を利用して平坦面を造り出しました (図1)。

 

 

《写真3》三の丸跡から見た通路 (昭和40年代)

 

《写真4》旧路と現行路の分岐点 (昭和40年代)

 

 

《写真5》開通記念碑

 

 

写真3・4の矢印がその通路です。三の丸側については廃道となった部分もありますが、その傍らには開通記念碑が残っています (写真1の赤枠、写真5)。写真内の※はのちに付け替えられた通路で、今でも人と車が通行しています。現在、姫路市では姫山公園 (北勢隠曲輪跡)の整備を進めているところです。完成すれば、気候の良い時期なら家族でお弁当を広げて楽しむには好適地です。その近辺には美術館や歴史博物館、清水門の井戸屋形もあります。“バイパス通路”は、これらへのアプローチにもなっています。

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