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【ディープな姫路城】9月号「とノ一門と搦手」

姫路市城郭研究室・工藤茂博さんによる、姫路城にまつわる知れば知るほど面白いお話を月1回で連載。
第5回目となる9月号では、「とノ一門と搦手」について驚きのお話をお届けします。

INDEX

1.

とノ一門と搦手

姫路城内には、管理上の問題などから通常の公開が難しい建物や曲輪があります。姫路市ではこうした場所の特別公開を期間限定で実施していて、今年度は9月中にとノ一門からとノ四門までのルートを特別に公開しています※。

 

 

 《写真1》搦手道ととノ四門 (島内治彦氏撮影)

 

 

このルートは姫路城の搦手 (からめて)にあたります。搦手とは、城の正面である大手に対して城の裏 (背後)を意味し、いわば城の裏口になります。それでも戦時となれば、裏口であろうと敵の攻撃は想定されるので、防御も不可欠です。例えば、とノ一門から四門の間の搦手道は、姫山の東斜面に敷設されています。東斜面は大手側の南側に比べて急傾面になるので、搦手道は蛇行しています (写真1)。その途中にとノ二門、とノ三門を設け、計4つの城門で搦手道の備えとしていました。

 

 

《写真2》長壁神社跡 

 

 

平時は、とノ二門の横にあった長壁神社 (写真2)への参詣道でもあり、内曲輪にあるほかの城道に比べて特別な性格をもっていました。

 

 

《写真3》 とノ一門と二門の枡形 (島内治彦氏撮影)

 

 

搦手道の4門のうち、とノ三門だけ撤去されましたが、ほかの3門は現存しています。なかでも、とノ一門と二門は枡形虎口を構成しており、枡形を囲う石垣と土塀も残っていて、小規模ながらも姫路城では唯一完全形で残る枡形虎口となっています (写真3)。とノ四門の内側は、眼前に天守が天守台石垣とともに聳えています。でもよく周囲を眺めると、正面には天守1階とイの渡櫓、東小天守が連なり、右手にちノ門とそれに続く東方土塀、左手にはへノ門と折廻櫓が接続し、それらにぐるりと包囲された閉鎖的な空間であることに気づきます。これも一つの枡形の空間と評価するならば、とノ一門を中央にして枡形虎口が二重に設けられていたことになり、同じように二重枡形であった大手門に匹敵することになるでしょう。

 

 

 《写真4》とノ一門の突上戸

 

 

ところで、4つの城門のうち、とノ一門は現存する姫路城の櫓門では唯一白漆喰を塗っていません。また、部材や構造に古いところがあるため (写真4)、置塩城から移築したという説もあり、それが、もともと白漆喰が塗られていなかった理由と考える向きもありますが、残念ながら断定はできません。

 

 

 《写真5》とノ一門の番所遺構 (撤去前)

その一方で、江戸時代末期には門内に番所が増設されたことがわかっています (写真5)。その番所は「昭和の大修理工事」の際に撤去されましたが、わざわざ番所を増設、言い換えれば、防御性を高めなければならなかった理由とは何だったのか、姫路城にはまだまだわからないことがたくさんあります。

※特別公開は、11月16日~24日と令和7年2月15日~3月2日にも実施する予定です。

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